【冷凍都市の暮らし】池袋
一駅ごとに街の表情が変わる都市、東京。
過ごしてきた歳の数だけ、それぞれの街の風景に記憶を重ねてきた。
離れて分かる良さもある。
そんな感じのゆるふわで、好い加減なトシの記憶を振り返る。
ー池袋ー
ぼくがはじめて都会を知ったのは、池袋だった。
東京育ちではあるものの主要な駅までかなり遠い場所に住んでいた自分は、
団地・公園・ヤンキーが見慣れた風景だった。
へそ曲がりの中学生として、親から怒られるのが面倒だからという受動的な理由で真面目に勉強をして、いじめられたくないからという理由でヤンキーとゲーセンにも行き、家ではインターネットで携帯電話の比較サイト見ながら、「1日でも早く自分用のケータイが欲しい」と夢見ていた。
そんな中学時代、チャリを飛ばして20分くらいかかる主要な道路まで、友人と汗だくになりながら向かった。そこで都バスに乗り、揺られること30分弱・・・。池袋東口に向かった。
ぼくたちの目的は、「池袋に行くこと」だった。
東口のマクドナルドで雑なランチを済ませ、サンシャインで楽しそうにデートするカップルに嫉妬をし、ジーンズメイトで英字プリントの施されたロングTシャツを買うことが、何よりも楽しい青春だった。子どもだったぼくたちに、それほどお金の余裕はなかったが、ただ一緒に無為に時間を過ごすだけで楽しめる遊び心があった。
自宅から1時間以上かかる池袋で、ぼくは13歳にして東京デビューを果たした。
その当時、実家は東京だったというのに、遅咲きのデビューだった。
そんな池袋も、高校・大学・社会人になってからは遊ぶ場所も変わってしまい、あまり行かなくなってしまった。ただ、19歳で高田馬場の予備校に通っていたときは、東口のHMVでCDを買うことが、限られた贅沢のひとつだったこともあり、時々降り立つことがあった。余談だが、YoutubeもAppleミュージックもなかったその当時、音楽は自分の命を救った。
そんなこんなで、しばらく池袋からは疎遠にしていたのだけれど、20代の後半に友人が池袋西口に引越しをしてからは、しばらくは池袋西口がぼくらのホームタウンだった。
自分自身も初めての一人暮らしで池袋の周辺に転居し、週末はもっぱら池袋西口に集合した。
ぼくたちのやることといえば、酒を飲むこと、仕事の愚痴をこぼすこと、ダーツを投げること、投げやりにテキーラを一気すること、カラオケで騒ぐこと、などであった。
そこそこに責任のある仕事を任されて、ストレス社会に毒されたアラサーの男たちにとっては、説明不要に必要なガス抜きであり、そんな最低な時間が最高のエンターテインメントだった。
しかしながら、そんなぼくたちも大人になる。
ある男は同棲をはじめるために、
ある男は飲み代が家賃を超える生活を更生するために、
そしてぼくは会社で転勤が決まったために、
それぞれが池袋の街を立ち去っていった。
子どもの頃は、初めて触れる都会らしい雑踏に刺激をおぼえ、
大人になってからは、丁度良い都会として週末を過ごしていた。
東が西武で、西は東武なことだけが、大人になった今でも理解できないけれど、
間違いなく断言できることは、池袋は埼玉の植民地ではなく豊島区ということだ。
また池袋で、酒を飲もう。
ばりやば!