言語表現論 2009年度前期試験

担当教諭 id:opoppo

問.「天職に転職」と「短足の嘆息」はどちらが上手いギャグなのか理由を明らかにして論ぜよ。

我々の言語表現において、ギャグとはコミュニケーションを深めるひとつの有効なツールである。では、「天職に転職」と「短足の嘆息」において、どちらがギャグとして上手いといえるのか検討することにする。
まず初めに、ギャグの条件について考える必要がある。ギャグが、その価値を最も発揮するのは、日本語として成立する言語表現でありながら、深遠な英知が内包されつつ当該場面に適した当意即妙な表現である時だ。また、ギャグにとって重要なのは、母音の反復による音楽性が、人々の心臓が刻む規則的な心音と重なり合うことで生じるその高揚感にある。我々は生まれる前から母体の心音を聞き、その反復的な音楽に安らぎを得ていた。
したがって、以下の条件を満たすものがギャグとして認識される。
1.日本語として成立する表現であること
2.深遠な含蓄に裏打ちされた当意即妙な表現であること
3.音楽性があること
では、本事例においてはどうであろうか。
各条件と照らし合わせながら考えてみたい。

まず、1については「天職に転職」も「短足の嘆息」も条件を満たしている。これは両者ともに日本語として適切に意味を理解することができ、問題がない。
次に、2についてだが、「天職に転職」は、転職を重ねてきたフリーターが、ついに自分が求めていた仕事すなわち天職にめぐりあえた時、その溢れんばかりの感動を的確かつ簡潔に表現したギャグとして大変完成度が高い。また、天職と転職をかけることによって、聴覚的にだけでなく、視覚的にも規則的な音楽性を表すことに成功している。つまり「職」を反復的に用いることによって、我々の脳裏に強くその感動を訴えかけているのだ。
一方で、「短足の嘆息」はどうか。こちらは、自らが短足であることの悲哀について、生みの親を思い浮かべながら、憎しみと諦めのアンビバレントな気持ちを嘆息によって消化している姿を巧みに描写した表現として非常に完成度が高い。また、音楽性という側面においても、同音の反復を駆使することで、その短い音の繰り返しが、まるで短い足で歩く足音がアスファルトという譜面に足音というリズム音符を刻むかのように我々のもとへと迫ってくる。
こうした分析から、両者ともにギャグとしてのレヴェルはかなり高度なものであるといえる。だが、あえて優劣をつけるとするならば、私は「天職に転職」のほうが優れていると考える。これは、冒頭にも述べたコミュニケーションを深める有効なツールという視点からの判断である。つまり、ギャグが当該場面に適した当意即妙な表現であるならば、日常会話というコミュニケーションの中で、使用しやすいものである必要があると考えるからだ。それゆえ、優秀なギャグは、使い勝手の良いものでなければならない。もし、使い勝手が悪かったり、会話の中で使いにくいギャグであるならば、コミュニケーションの潤滑油としての役割を充分には果たしていないといえる。
このような前提で「天職に転職」と「短足の嘆息」を比較した場合に、後者は情景を描写するための表現としては使用できるが、会話というコミュニケーションの場面では使いこなすのに大変苦労することが予想される。それとは対照的に、「天職に転職」は、この就職難の時代において天職に就くことができた発言者の幸福感を、聞き手に対してユーモラスかつ的確に伝達することで、お互いの良好な関係形成のスタートを後押しする。
したがって、どちらも優れたギャグ表現ではあるが、「天職に転職」のほうが真に優れたギャグであると私は思う。

以上