或る日のメール

或る日、友人のuniくんから以下のようなメールが届きました。

生の『音楽』って、実生活にはなかなか身近にないって、思ったことないですか?

そして、長いメールリレーの始まりですww

全部、携帯で打ってたとか信じられないよ(;´Д`)

実生活で耳にする音楽は、確かに人為的なものかもしれませんね。

ちなみに、『生の音楽』=コンサートとかでの生演奏の音楽という意味(定義)で表現してますか?

それとも、普段聴く音楽とは違うが、音楽的な意味合いを含有しているとも考えられるもの…例えば、波の打ち寄せる音とか?…を言ってますか?(@_@)

深く考え過ぎですよ(笑)まあ主に前者です。

音楽を定義する三要素は、メロディ、リズム、ハーモニーですから、基本的かつ厳密的には、後者は音楽とは言えないですね。もちろん、一般論ですので、現代曲には当て嵌まらない場合も多いのですが…。

とりあえず話の大筋は、今行われている、多くのコンサートは、金銭的時間的余裕のない人や、情報のない人には縁遠く、また演奏者と聴衆の距離感がありすぎやしないか?ということです。

深く考えすぎました(笑)

確かに後者は音楽の原則からは外れますね(^-^;

演奏者と聴衆者の距離感ですか…。今の音楽しか考えないのであれば、生の音楽と聴衆に距離感があるというのは、その通りかもしれません。ただ(勉強したわけじゃないんで断言はできませんが)昔のそれと比較すれば、当時は貴族の娯楽としてしか存在しなかった音楽が、一般大衆にも広がった(チケットさえ買えば生の音楽に触れることができる)わけですし、生の音楽には音質や臨場感で劣るとは言え、CDという代替手段で擬似体験はできますからね。クラシックに限らなければ、ライブに行くのが好きな人も結構いると思いますし。

そう考えると、生の音楽が遠いとは言い切れないようにも感じます。うーん……でも映画やレジャーに比べると、演奏会(生の音楽)って敷居が高いイメージが一般大衆の正直な考えなのかもしれません。

…そんなわけで、比較対象によって生の音楽に対する距離感は変わるというのが僕の結論になったみたいですね(笑)

比較対象によりますね(笑)僕も抽象的過ぎました(^^;

ものは考えようなんですが、ライブハウスのライブのように、簡単なプロセスで、かつ低料金(または無料)で、生きたクラシックやジャズを、アットホームに楽しめる企画があったら、どうですか?

物を考えるって難しいですね(笑)

そりゃぁもう僕なんかは暇だなぁーって時は、ふらりと通いつめそうですし、新しい娯楽として聴衆受けしそうですが、演奏者の生活を考慮すると継続するのは困難そうな気がします(汗

ボランティア活動に近くなりますし、演奏に見合う賃金がもらえないなら、技術を持ちながら音楽を放棄する人も出てきそうですし…。アマチュアならストリートライブなんかは、その提案に似たようなことをやってますしねぇ……って、何か実行もしてないのに批判ばっかしてますね(;´Д`)自分の悪癖です↓↓

んー………生の音楽を広めるという意味では、『のだめ』みたいな作品は聴衆と演奏者の距離を近けるのに貢献したと思いますね。だから、一般大衆に『音楽は身近なものだ』というイメージを植え付けることから始まるような気がします。

学校教育の音楽も、合唱やって、リコーダー吹いて、東儀秀樹のビデオ見て感想文書いたらお終いですからねぇ(・ε・)テストもペーパーですしね(まぁ技術まで試験するようになったら時間が足りなくなるわけですが)

それじゃあ、一般大衆に音楽が身近なイメージを植え付けるにはどうすれば………YouTubeとかはクラシックの映像も充実してますから、とりあえず音楽の聴覚だけのイメージの払拭に、そういう映像を利用してみるってのは、どうでしょうか?違法かもですが(笑)

僕の意見としては、昨今の『のだめ』ブームで、クラシックの認知度がいくら高くなったといっても、やはり生のクラシックを聞ける人っていうのは、あまり増えていないと思うんですよ。

例えば日本で認知度の高いオケ…N響の公演は、安くても6千前後。ピアノリサイタルとかも同様ですね。興味はあっても敷居が高いっていうのは的確な指摘だと思います。金銭的にもそうですが、おそらくまだまだ多くの人が、『演奏会って一張羅で行かなきゃいけないの?』って思ってるんですよ(笑)

また、認識度が高くなった今ですが、CDは増えても、演奏会自体の供給があまり変わっていないというのは、現状としてあります。CDやネットといった媒体は、音楽を気軽に楽しめるようにしたという点で、音楽を盛り上げている一要素だと思いますが、演奏者であり、一介のリスナーの僕としては、CDなどで親しんだ曲を、一歩進んで生で楽しんでほしいと思うんです。そこには、CDでは味わえなかった部分があるからです。

マチュア演奏者的観点から見てみると、実は意外と演奏する機会っていうのはないんですよ。例えば、吹奏楽団なんかに入っていれば、お祭りやなんかでの演奏はありますが、ソリストやピアニストなんかの演奏会ってなかなかないんです。プロでさえ仕事がないなか、演奏する機会がないために、技術がありながら、音楽を放棄する奏者も少なくありません。やはり十回の練習よりも一回の本番の方が、奏者の力になります。ですから、アマチュアの音楽家にもっと演奏の機会を与えたいと思うんです。

僕が今立案しようと考えているのは、イメージ先行で表現するなら『サロン音楽』です。誰でも気軽に聞くことができて、まさにこれからというべき若手のアマチュア楽家が、身近に感じられる距離で演奏する。それも、ピアノや管楽器の重奏、現代曲など、形式にこだわらないカタチでです。場所は小さいホールや個室型会場など、一体感すら感じられる場所を用意したいと思います。対象は、クラシックを生で聴いたことがない人達にもわかりやすく、かつジュニアコンサートを卒業した年齢の人に楽しんでもらいたいと思っています。料金設定としては、無料あるいは、500円程度で、アマチュアですから会場費は分割になるでしょうが、会場の規模によっては一団体(組)に対する負担は少なくてすみます。

そういった演奏会がやりたいんですが、どう思いますか?

なるほど…。確かに6千円は高いですよね(;´Д`)音楽を多少知る人ならN響の演奏会に6千円は妥当だと思うでしょうが、生の音楽を知らない一般大衆には、6千円の価値があるのかわかりませんよね。『演奏会って一張羅で行かなきゃいけないの?』ってのは、最初は思っちゃいますよね(^-^;自分から誰かに聞かない限り、誰も教えてくれませんし。

CDは増えても演奏会自体の供給があまり変わっていなってのは、やっぱりそれで現在のところ需要と供給の均衡が保たれてるんでしょう。

生の演奏を直接体験することでCDでの感動を超越した体験ができるというのは同意見です。ライブ独特の緊張感や臨場感、一体感などは代替手段でしかないCDだけでは体験できませんからね。

マチュアが発表する場って、やっぱりそんなに少ないものなんですか!?それで技術を持ちながら音楽を放棄する演奏者がいるというのは悲しいことですね。

だから、『サロン音楽』ですか。確かに面白そうです。演奏の場が増えるのも若手が活躍する場を確保するという点で良い提案だと思います。ただ、演奏者がアマチュアだけだとしたら、一部の音楽好きや評論家だけにしか浸透しないような気もします。

残念なことに、日本人には有名人を崇拝し、他人に流されやすい側面があるからです。そうなると、たとえ安い料金でも無名の若手演奏家の発表に時間と労力を割くくらいなら、有名なアーティストのライブ・演奏会に行く人が大多数ではないかと推測するからです。

実際、映画やドラマが大衆に普及してるとはいっても、それらの原作の多くは、小説などの原作本の時点で既に高い評価を受けているものを映像化しただけであったり、演じる俳優が既に知名度のある人であるからです。

そう考えると、『音楽館』(映画館に対比させての造語)に大衆の足が近づくかどうかは以下の二点の理由で困難を要すると思います。ひとつは、アマチュア中心となる『音楽館』に一般的な日本人が興味を持つとは限らず、興味を持ってもリピーターとして継続して足を運ぶか危ういこと。もうひとつは、クラシック音楽は既に存在する過去の作品の解釈をかえて表現しているため、映画などの娯楽と比べて真新しさに劣ることです。

でも逆に、以上の二点を克服できれば、上手く行くとも考えられます。たとえば、アマチュア演奏家自身が、職業として音楽を捉らえず、趣味として捉らるなら、発表の場が確保されるわけですから、『音楽館』は望ましい提案となるでしょう。しかし、これは生の音楽を大衆に浸透させるという当初の目的が果たせるか怪しいところですね…。真新しさがないことについては、既存の作品にアレンジを加えたり、オリジナルの曲を演奏するなりして解決できそうですが。

…まぁ長々と説明しましたが、実際に『音楽館』で演奏してみて、客に直接意見を聞いてみるとかしてみないと何とも言えないですね(^-^;

音楽好きな人には受けると思いますけど、生の音楽を浸透させるという目的を達成できるかどうか…。『演奏会の廉価版』と聴衆が受け止めれば、ちょっと『敷居の低くなった音楽』という認識にしかならないわけですしねぇ…(個人的にはこれだけでも大きな進歩だと思いますが)

んで、その後、お互い忙しくてメールできてないのですww