100km Walkに行ってきた話

先日の週末、100km Walkというイベントに参加してきた。

熱海駅前からスタートして、途中、休憩を取りながら歩き続け、約34時間かけて東京タワーまで行くという企画。ぶっちゃけ会社の役員から誘われなければ、絶対に参加していなかったと思うが、よく最後までリタイアしなかったと思う(笑)

 

正直、自分はザ・体育会系、というほどのタイプでもないので、どこまでやれるかという不安もあった。とはいえ、せっかくの機会なので、歩き切ることを目標に、ただひたすら歩いた。新幹線で1時間もしないで移動できる距離を、1泊2日かけて移動する、というのは、傍から見れば異様なことだが、学び得たこともあるので以下に記載。

 

①人間は意外と100kmくらいは歩き続けられる。

今回、約20名いる参加者のうち、1名のリタイアを除いて、全員が完歩することができた。全員が成人男性ではあるが、20代〜40代くらいの男性なら、意外とできてしまうことらしい。

 

②50kmを越えてから足の疲労は本格化する。

フルマラソン(42.195km)というのは、人間の身体に合わせて、距離を設定されているようで、50kmを越えてからが、猛烈に足の疲労感が増した。ちょうど、熱海からだと藤沢市あたりが、50km地点となる。

今回、ちょうどその頃から朝方にかけて雨が降り始め、視界不良・体力の消耗・水たまりなど、歩くのには好ましくないコンディションだったので、余計に足への負担が増したように思う。

ちなみに、熱海駅から出発して約75km地点が横浜駅らへんなのだが、自分としては、ここが一番、足の痛みがピークだった。ロキソニンサロンパスにお世話になりながら、何とか痛みを誤摩化して歩くものの、一歩一歩が神経をかけずり上がって脳まで響く痛み。ロキソニンサロンパスを使わなかったら、正直、最後まで歩けなかったと思う。

 

③道路沿いのコンビニ・牛丼チェーンの多さを思い知る。

今回、スタート当初は約5km刻みで、コンビニの前に立ち寄り、休憩をしていた。東京の都心部とは違って、駐車場の広いところも多く、骨休めをする場所には事欠かなかった。いつも会社の近くで利用するのと同じコンビニチェーンが、ほとんど品揃えに遜色なく、この街にも、あの街にもある、というのは、本当に便利な世の中なのだと感じた。

また、歩き疲れて、雨も降り始めた最中に駆け込んだ吉野家の味は、確かに人を味覚から幸せに足らしめるのに充分な味であった。悔しいけれど、美味しいと感じてしまう夜だった。味噌汁は、身体と心を温める飲み物だった。

 

④先頭を歩く方が、負担が少ないということ。

自分は出発当時、列の後ろ側で歩いていた。しかし、横浜近辺の疲労が増してきたあたりから、以前にも100km Walkに参加したことのある人より、列の先頭集団を歩くように促された。というのも、後ろの方を歩くというのは、前を歩く人にぶつからないように注意をしたり、前の人に足並みを合わせる必要があったりと、無意識のうちに肉体的・精神的な負担が重なるためである。

そして、実際に前に移ってからの方が、とにかく前を見て歩くことに専念しやすくなるため、気持ちが楽になった。これは、今回の企画だけでなく普段の仕事や生活にも通じることであると思っている。なぜなら、先頭を歩くという事、すなわち集団のスタート・ペースダウン・ストップの権限を持つということは、自分の判断のもと、集団を動かすことができるためである。

頃合いを見て休憩を提案できるのは、先頭集団を歩くメリットであった。後方集団を歩いていた当初は、休憩を提案しようとしても、その提案も届かず、休憩場所の決定にも参加できないまま、「あと、どれくらい歩くのか」という見通しが見えないまま、歩き続けなければならなかったため、その見えないストレスは、計り知れなかった。

 

⑤組織の視点と意思の力が、人を前進させる。

先頭集団を歩くようになってからは、後方集団を歩いていた時のストレスからは解放されたものの、「時間内にみんなでゴールをする」という責務を担う一員となるために、段々と自分の足の痛み(個人視点)を度外視して、全体のゴールまでの距離(組織視点)を、切実なものとして考える機会となった。

というのも、「足が痛い→休憩したい」という短絡的な思考から、「足が痛い→休憩したい→あと●●km進んでから休憩した方が、ゴールまでの距離を縮められる」という考えを持てるようになるためだ。そうなると、たとえ自分の足の痛みがピークだろうが、後ろを振り向き、みんなが大丈夫そうであれば、できるだけ集団を前進させて、ゴールまでの距離を縮めることができた。たぶん、もし自分ひとりで同じ100kmを歩いていたら、たとえゴールまでたどり着いたとしても、今回以上に時間がかかってしまったと思う。

また、横浜駅近辺の足の痛みは、本当に酷いものであったが、それでも前に進むことができたのは、「時間内にみんなでゴールをする」、「絶対にリタイアはしない」、「これくらいの困難を乗り越えられないと何もできない」というような精神論丸出しの意思の力でした(笑)実際に、完歩してみて思ったのは、こんだけのキツいことを乗り越えられたのだから、普段の仕事上でのストレスとか、難易度が低すぎるwというある種、ぶっとんだ思考回路でした。

 

長々と書いてきましたが、ただ歩くだけの企画ではありましたが、色々と学びもある機会となりました。20代〜30代の元気なうちに、1回くらいやってみると、良い経験になるかもしれません。

「大企業とベンチャー企業、どちらの方向で就活をしようか迷っています」

「大企業とベンチャー企業、どちらの方向で就活をしようか迷っています」

先日、うちの会社に来ていたインターン生から、こんな内容の相談を受けた。その時は、「リーマンショック以降、一般的に安定しているといわれる大企業でも、一寸先に何が起こるか分からない。ゆえに、数万人いる社員の中のひとりとしてはたらくよりも、小さなベンチャーで、ある程度、責任割合の大きいとこではたらく方が、有無をいわさず成長しないといけない環境だから、長期的に見ると、実は安定した暮らしをするための最短ルートだと思う」というようなことを答えた。

これは本心で、自分が新卒一期生として、当時は設立2年のフェーズであった会社に飛び込んだ理由のひとつでもある。

しかしながら、ぶっちゃけ、どちらを選んだとしても、苦労もあれば楽もある。隣の芝は限りなく透明に近いブルーに見えるものだ。実際、定時帰宅や有給休暇など整った福利厚生の話を聞くと、正直羨ましく思うこともある。

だが、自分自身、今のやっている仕事は確かに辛いこともあるが、総合的に判断して、「楽しい」と感じている。だから、冒頭の就活生にも、そういった親ベンチャー派の立場から助言をした。

また、就職氷河期といわれる時代にもあり、有名大学の出身というだけで、誰しもが当たり前のように大企業に就職できるような時代でもなくなってきた。それこそ、新しい産業やサービスを生み出し、雇用を活性化させる必要もあるだろう。だから、一定の厳しい選抜試験を経て大学へ進学してきた人たちこそ、積極的にベンチャーNPOに飛び込み、ある種、閉塞的な空気に覆われている日本を共に元気にしていって欲しいと考えている。・・・とかいうと、なんだかイケイケのベンチャー風ですが、酒を飲んで気分が高揚している時などには、ぬるっと程度に、そのようなことを考えたりしています。

「はたらく」を考える。

それにしても、久しぶりにはじめたブログの最初のテーマに、こんな話を持ってくるあたり、自分も社会人になったと思う。

振り返ると、大学を卒業して、小学校6年間+中学校3年間+高校3年間+予備校1年間+大学4年間の17年間に渡る学生生活を経て、この春からやっとこさ社会人となり約6ヶ月程度が経った。

まだまだ社会人としての経験は少ないとはいえ、学生時代の時からアルバイトやインターンなどで社会と接点を持つこともあったので、それらの経験も踏まえ「はたらく」について考えてみたい。

「はたらく」とは何か。

諸説あると思うが、ひとまず「Google」先生に聞いてみた。

「はたらく」と検索をすると、約 8,200,000 件のWebサイトが引っ掛かる。1ページ目には、enJapanのアルバイト求人サイト、東京都の雇用に関するサイト、某CAの渋谷ではたらく藤田社長のアメブロhttp://ameblo.jp/shibuya/)などが表示される。

さすがは、Google先生、「はたらきたい」と思っている人に役立つ情報を検索結果の先頭に表示してくれている。だが、今回の記事で知りたい情報とは、やや趣が異なるので、改めて、「大辞林」という辞書を使って調べてみた。

【はたらく】

(1)肉体・知能などを使って仕事をする。一生懸命にする。

(2)職業・業務として特定の仕事をもつ。

(3)機能を発揮する。効果・作用が十分現れる。

「はたらく」の意味を辞書的に引っ張ってくると、「仕事をする」や「仕事を持つ」という意味として定義されている。となると、気になるのは、「仕事」ってつまりどういう意味?というところ。ついでに調べてみた。

【しごと】

(1)するべきこと。しなければならないこと。

(2)生計を立てるために従事する勤め。職業

「するべきこと。しなければならないこと。」とは、なんとも現実的で重たい定義である。たまればたまるほど、辛くなるのが仕事ですよ(笑)そして、注目すべきなのは、(2)の最後。「職業」が「仕事」を意味するものとして記述されている点だ。全くもってその通りで、少なくとも一般的な日本人にとって、「はたらく」を考えることは、何の「職業」に就くのかという選択を意味するのと同義である。

幼稚園や保育園の子どもたちが「将来は何になりたいの?」という問いかけに対して「お花屋さん!」、「パトカー!(警察庁都道府県警察に置かれる公安職の警察職員)」、「仮面ライダー オーズ!!(地球的治安維持のための民間団体職員)」といった選択をするのにはじまり、高校の進路選択における「文系か理系か」という選択、就活生の「自分の特性は大企業とベンチャー起業のどちらにマッチングするのか」という選択や「人の三井か組織の三菱か」という贅沢な内定受諾の選択に至るまで、我々は常に「はたらく」を考えている。

否、どんな「職業」に就くのかを選択する人生を歩んでいる。


職業選択は、「はたらく」の対象を決めるということ。

さて、職業の選択とは、どういったものか。

職業を選ぶということは、すなわち、「どんな対象に、どんな商品やサービスを、どんな価格で提供したいか」を決めることだ。もう少し平たい言葉でいうならば、「誰をハッピーにしたいのか」ということと同じだ。

不思議なもので、人は他者を幸福にすると、自己の達成感や充実感をも得ることができ、自分自身も非常に満たされるようにできている。もちろん、例外もあるだろうが、少なくとも僕自身はそのようにできていた。そのため、「はたらく」の客体となりうる存在、つまり、「その職業のお客さんは誰なのか」ということを突き詰めて考えることは、職業選択の際に非常に重要なファクターとなる。

というのも、「はたらく」ということは、時に「100件のアポ電話をかけること」であり、時に「夜を徹して納期までの資料を作成すること」であり、時に「営業数字の達成プランが甘いと上司にド詰めされること」であり、時に「死にたくなるほど過酷」であるためだ。自分が本当に貢献したいと思える対象や使命感をもって取り組める事柄でなければ、自らの命を削りながら40年間の職業人としての人生を過ごすのと同義である。

そんな絶望的なことはないだろう。

だからこそ、どの職業を選ぶのか、すなわち、「誰をハッピーにしたいのか」を考えることは、「はたらく」を考える上で忘れてはならないことのひとつなのだ。


誰を幸福にしたいか。

これについては、また今度、考えることにします。おやすみ。

それにしても、慶應義塾大学ってのは、どうにも苦手や・・・。
※別に嫌悪の感情ではないです。ただ、ちょっと苦手意識があるかもなー。友達にも慶應の学生は何人かいるんやけどなー。そいつらとの関わり合いは普通なんだけど、セミナーやらインターンやらで出会う慶應の学生は、どうにもこうにもうまく交流できない。すごく、見えない壁を感じる・・・!喋っていても、どこか違う国の人のような錯覚をおぼえる・・・!いや、おれが勝手に「慶應」という名前を聞いた瞬間に、ATフィールド全開にしてる可能性もあるのだけどさ(笑)
これは偏見かもしれないので、話半分に読んで頂きたいのだけど、なんか、彼ら彼女らって他の大学の学生とは異なる特有の空気感を持っているよね。ややこなれた雰囲気というか、上品とチャラいの絶妙な中間地点の空気感というか、うまく言語化できなくて申し訳ないのだけど、そんな感じのものを持っている。たぶん、庶民派(笑)の自分にとって、それが妙な距離を感じさせていて、うまく対話をできなくさせているのだと思う。ちょー、偏見だ!ちょー、強迫観念だわ!なんか、すみません。
そして、これまた不思議なのだけど、早大生にはなかなかセミナーやインターンの会場で出会わないんだよね。比較的、早稲田は就活のスタートが遅いって言われているけど、それでも、もうちょい会っても良さそうな気がするんだがなー。自分が行ってるような業界とは別の業界を志望している人が多いんだろうか。ってか、まだ就活が本格スタートっていう時期でもないからか。
どうでもいいけど、最近、自分の頭の中が就活に関する考え事でいっぱいやー。就活自体を目標にしてがんばるつもりはないのだけど、就活より先の社会で働くってことに視点を移したいのだけど、どうにも眼前の就活イベントや小耳に入ってくる情報に振り回されそうになっている。あかん。いかん。自分の特性として、マインドよりもスキルから、中身よりもパッケージから、物事に入り込んでいくところがあるだけに、本気で注意しないと本質を見失いかねない。これは以前のエントリーにも同じような趣旨のことを書いたことと重複するかもしれんが、マジで悪癖やと思ふ。だから、ちょいちょい思い出したように、こうやってどっかに書き出して、再確認しないと危ないな。気をつけろ、おれ。
あー、しかし、まとまりのない文章だ(笑)思いつきで書いてるもんね。でも、意外と自分の中での整理には役立ったりするよね、こういうのって。
そして、明日と明後日は、バイトだー。実は前のバイトをやめて、新しいところでバイトをしてることもあり、まだまだ慣れないことだらけで結構苦戦中。だけど、新しいことに挑戦してみたかったんだよね。前のバイトは1年以上やっていて、正直、もう飽きていたから。飽きる、なんて言い方はちょっと乱暴過ぎるかもしれませんけどね。しかし、自ら楽しもうとか工夫しようとか思ってやれば、行動の余地はあっただろうに、簡単にやめちゃうあたり、自分のやり切る能力の低さを如実に現しているかもなー。
そんなわけで、就職したら、同じ会社で多少の異動はあるにしても、長く同じような仕事をするんだって考えると、マジで自分の性格/能力/価値観なんかと合致する会社じゃないと続かないだろうなあ。。。ちゃんと、探す努力しよう。
じゃあ、まずはじめに何をすればいいんだ?

もうすぐ後期

日曜の昼下がりにこんにちは。成宮寛貴です。
・・・嘘です。ごめんなさい。
さて、まもなく夏休みが終了ということで、僕の大学でも明日から後期の講義が始まります。とはいっても、僕は月曜の講義を履修していないので、火曜日までお休みなのですが。
ここで、参考までに後期の時間割でも晒してみます。

  • 火2:社会科学特殊講義9
  • 火3:産業社会学
  • 火4:環境表現論
  • 火5:ゼミナール
  • 水4:中国白話文学史2
  • 水5:リスクマネジメントと保険
  • 土2:マーケティング入門
  • 土3:第三世界
  • オンデマンド授業:国際関係論入門D

語学もなくて必修もないと、かなり自分の都合に合わせて自由に時間割を組むことができて良いですね。週休4日とか、高校生からしたら人生ナメてると思われそうやね(笑)まぁーでも、バイトやら就活やらで実際には講義のない平日も忙しくなりそうです。うん。
そして、後期は忙しい中でも暇を見つけて、たくさん勉強しよう。(と、一応、宣言してみる)別に、大学の講義を我武者らにがんばるってわけではなくて、自分の興味のある分野について、つまみ食いでも良いから本を読んだりしてみよう。ってな感じのゆるふわな程度の決意表明です。たぶん、三日坊主で終了するので、乞うご期待。
あと、美術館にもたくさん行きたいな。10月にはゴッホ展もあるしね。今まで行ったことのない美術館にも、散歩がてらに行ってみよう。秋は散歩の季節。夏の間はクローゼットの中で眠っていた薄手のニットセーターやジャケットを羽織って、ゆらりと知らない街を歩くんだ。そうだ、iPodの中に入っている曲を増やそう。あの曲を聴けば、あの場所を思い出せる。そんな音楽たちを連れて、散歩に出かけよう。
夏休みが終わっちゃうのは寂しいけれど、新学期にも楽しいことがたくさんあるはずだ。

すっごく久しぶりのダイアリー。気まぐれで書いてみる。
みなさん、Twitterを使い始めてから、hatenaなんて見てないんでしょうかね。最後に日記を書いてから、半年も経つのか。はや。
大学生活も何やかんやで3年目。ぶったまげたわ。気づいたら、おれ22歳だったわ。なのに、まだまだちゃらんぽらんなので、そろそろしっかりしないと!とは思いつつ、しまりのない生活を送ってますwwいやー、しっかりせねば。
近況の話をすれば、主に最近の生活の大半は、就活とバイトと少しだけサークルという感じ。就活は、本当にどうなるんですかね。明確に行きたい会社とか業界を絞りきれてないから、今ひとつモチベーションが上がってない。「どうしても御社に・・・!」みたいな対象がない。早く、しっかりとした方向性を定めないと、無駄にインターンやらセミナーやらに参加して、結果、あんまり収穫がなかった、みたいなパターンになりそう。目的意識がないと、徒労に終わる。
正直、公務員なりたいとか、銀行マン、商社マン、テレビ局社員とかとか、明確に目標を決めきれちゃう人を羨ましく思ったりする。自分の可能性を、そうやって一点に選択と集中をする人間は、やっぱり目標達成率も高いんだろうな。自分は、そういう時にどうしても迷ってしまったり、選択が消極的な選択(Aはこういうリスクがありそうだから、この二者択一でならBにする、みたいな)によってしまうところがあるので、自分が選んだ選択に対して自信を持って深堀できない。で、中途半端みたいな。あいたた。
その他にも、1dayとか2dayのインターンに参加してみて気づいたのは、やっぱり自分はコミュニケーション能力が低いなってこと。上っ面で、表面的に、グループのみんなに合わせることはできるし、グループワークで話し合いに参加すること自体は苦手ではないのだけど、その帰り道とかで、同じグループの人と駅まで歩く途中の会話で、ありきたりな質問に終始してしまう。「どういう業界に、どれくらいインターンに参加してますー?」「サークルとかはやってるんすかー」的な。まぁ会って半日くらいの人が相手だと、そんなもんなのかな。でも、たとえ3時間程度のGWでも、同じワークを経験した仲間だと結構打ち解けられるので、そこで深い関係に発展させるだけのポテンシャルがないってのは、とってもコンプレックス。仲良くなるのが得意そうな人を見ると、本当に肩身が狭い。うわー、あの人のリア充オーラぱねぇって引いてしまう。別に、友達を増やしたいわけではないのだけど、せっかく出会って打ち解けることもできたのに、もしかしたら音楽の趣味が合ったりするかもしれないのに、その場限りになってしまうのが、何か勿体ない気がしてる。まして、自分が所属しているコミュニティ(サークルやらゼミやらバイト先やら)というのが、限られた人間関係の中で成立してしまっているので、自分の世界を広げるという意味でも、こういう就活みたいな人と出会う機会を完全に活かしきれてない自分が悔しくもあったり。そんな時に、自分の根暗性を再認識して軽く鬱な気分にもなっちゃうのですなwwうん。おれは、どんなに盛っても、やっぱり人見知りだわ。
まぁ逆に考えれば、自分の弱みが分かってるから、そこをどうやってフォローするのかを考えて、実行できれば克服できたりもするのかな。わかんねーけど。
てな感じで、久しぶりに書いてみたら長くなったので、今日はこの辺で。また気が向いたら書くかもしれません。
みんなもTwitterばかりじゃなくて、たまにはブログで長めの文章を書いてくれたら読むのになーなんて言ってみました。おやすみなさい!

たまには、はてなの飲み会幹事でもやろうかしらってことで、誠に僭越ながら5月3日に飲み会をやろうと思うのですが、みなさまのご都合は如何でしょうか。詳しくは、グループの日記に書いてありますお。
http://flea2008.g.hatena.ne.jp/sotto_voce/