「何をしたいか」と「どうありたいか」の話

誰もがみんな、「自分」という物語を生きていて、
「自分」という主人公を演じている。

 

生まれた瞬間に、ある程度の舞台は決まっていて、
学生向けの小劇団のような舞台がある人はまだ恵まれている方で、
場合によっては、雨曝しの空き地みたいな舞台のこともある。

 

ある者はそれなりの台本と衣装と照明が用意されているのかもしれないが、
ある者は悲劇的な台本のみを渡される。やれやれ。

 

それでも「何をしたいか」という目的が明らかな人は幸せだ。
遠回りをしなくて、最短ルートで地道に目的地まで歩んでいけば良い。

 

その一方で「何をしたいか」という目的が不明確な人は大変だ。
行き当たりばったりで、行き着いた先が行き止まりなんてこともある。
ひどい時には、水たまりに足をすくわれ、獰猛な野良犬に睨まれるかもしれない。

 

平等とか公平なんてものは、まやかし程度にしか存在しないくせに、
世間や学校では「みんなで仲良く」とまことしやかに囁かれる。

 

その「平等主義」のコントラストで際立つように、

文字通り何もなくて、何をしたいかもない自分の輪郭が浮き彫りになって、

ある一定の年齢を経た時に気がつく、圧倒的な現実の惨さ。

 

そんな毎日の繰り返しで、第六感の鋭い人ほど悟ってしまう。
「どうせ、演じるだけ時間の無駄じゃない?」

 

極めて合理的で、的確な判断だ。

 

だから「どうありたいか」を考えれば良い。
きっとたぶん、裕福だった時代はもう終わっている。


これまでの蓄えを細々と消費しながら全うする時代だ。

 

仕事とか住居とか趣味とか家族や恋人、友人との時間とかのアレコレを、
自分のありたい姿に合わせてライフスタイルのポートフォリオを組んで、
年齢や体力の状況に応じて組み替えていくことが器用な生き方になってくる。

 

・・・みたいなことを、考えたりするものの、
何というか、それはそれで面白みに欠ける生き方のようにも思えてくる。

 

暑い夏が、ぼくたちの思考力を奪っていく。

 

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【冷凍都市の暮らし】新宿

アルタ前、タワレコ前、ミロード前、南口改札前、東口前など、、
とにかく駅前だけでも出口が多いので、待ち合わせ場所は考えないといけない。

 

そのくせ目印となるようなところは、どの待ち合わせ場所にも、
だいたい人が多くて、落ち合う予定の相手を見つけるのもウォーリーを見つけるくらいの気合いが必要だ。

 

ー新宿ー

 

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そんな都市らしい場所に、よく分からない不思議な懐かしさをおぼえる。

ぼくの高校から大学時代は、新宿でよく友人と時を過ごしていたからだ。


そんな都会で過ごしていたといっても、特に高校生だった当時のぼくは、
大してお金も持っていなかったので、銀杏BOYZを聴きながら甲州街道沿いの道路を、
厭世的な足取りで帰宅するくらいのことしかしていなかった。


新宿にある学校に進んでみて思ったことは、「世の中、色んなやつがいるもんだな」という感想だった。
都内全域から通学が可能な都心部の学校だけあって、価値観の異なる同級生たちと出会った。

 

もちろん、尊敬できるような仲間もいたのだけれど、その多くの出会いは、
自分にとっては、あまり心地の良いものではなかったと記憶している。


基本的に男子たちはチャラついていて、昼休みには教室で輪になって談笑しているか、体育館でバスケをしていた。
また、女子たちは茶髪に染め、誰もがセーターを腰に巻きながらアイプチをした笑顔で、いくつかの島に分かれて恋話をしていた。

 

しかしながら、そんな傍目に見ると遊んでいるような高校生たちだったが、
ちゃんと定期試験前には「やべー、世界史のワークが終わってねー」「おれ英語は得意だからほとんど勉強してないんだよね」などと、それなりに高校生としてやるべきことをやっていた。

 

必死こいて、時には徹夜して、なんとか学校内で1番を取っていた中学までの世界とは、全く異なる世界に飛び込んでしまい、それこそ入学当初は妙に焦っていた気がする。


「どうして、あんな金髪ギャルが、青チャートを開いて休み時間に課題をやってるんだよ・・・!?」


人は見かけによらないこととか、やることをやるとか、努力して結果を出すことなんて、
ちょっとした進学校に入ってしまえば、みんなが当たり前にやっていることだと気がついた。

 

そんなチャラついたやつらに負けたくなくて、それなりに努力してみても、
結局、ぼくは高校卒業までに学年1位どころか、クラス1位さえ取ることもできなかった。

 

「自分は本当に井の中の蛙だったんだな」

 

そんなこんなで、勉強くらいしか自信のなかった当時の自分に、
現実世界の厳しさを教えてくれたのが新宿の街だった。

 

「何者でもない自分」と出会えたことは、
高校に進学して最大の学びだったのかもしれない。


加えて、あまり思い出したくもないことだが、周囲の小慣れた高校生たちのグループに入りたくて、
なんとかギリギリ高校生っぽく振舞っていた自分は、やっぱりなかなかグループに入り切れなくて、
昼休みの時間が、何より気だるくて早く終わって欲しい時間だった。

3年生になると、受験勉強を言い訳にして、ほとんどの休み時間は図書室で勉強するフリをしていた。それくらいに、新宿の街は自分にとって冷凍都市の暮らしだった。


そんなぼくも、大学に進学すると新宿の風景は変わった。

 

「バイト終わったら店で合流する!」
買ったばかりのウィルコムの端末を使って、講義を受けながら友人に返信していた。

 

大学はとにかく気楽だった。
語学やゼミを除いて、コミュニティの枠組みに強制されなくて済むからだ。

 

好きな勉強を優先して、サボりたい勉強は読書して、
とにかく「主体的」な学びが許された。付き合う仲間も選ぶことができた。

 

そして、気の合う友人や気になる相手とは、よく新宿で遊んでいた。

できるだけ雨に濡れずに、駅から目的地まで地下道を通って向かうことができるくらいには、新宿の街を知り尽くしていた。取り立てて何にも自慢できるような話ではない。
でも、それくらいに新宿の街が好きで、ホームにしている自分がいた。


別に何が楽しいわけでもないのだけれど、
アルタ前、タワレコ前、ミロード前、南口改札前、東口前などに集まって、
友人たちと酒を飲むことだけで楽しかったのだから仕方ない。

 

気になる相手と飲みに行った日には、「もうちょっと飲もうか」なんてことを言いながら、駅まで向かう帰路の途中で方向転換したりとか、南口前のマックで唐突に別れ話を切り出されたりとか、たくさんの人と膨大な量のコミュニケーションや感情を、新宿の街で流通させていた。

 

高校時代の不完全燃焼な気持ちを拭い去るように、新宿の街で遊んでいた。
ある種のリハビリテーションのようなものだったのかもしれない。新宿療法だ。


とにかく店が多いので、集まる人数と雰囲気に合わせて、店を探して飲むのが楽しかった。

幹事をやると店の知識が増えるのが楽しくて、よく引き受けた。
脳内のホットペッパーに掲載店舗を増やしていった。

 

もちろん、街にいる人が多いからこそ事前予約は必須だ。
複数名で酒を飲む時には、予約をしないと難民になることを教えてくれたのも新宿だった。

 

また、キャッチのお兄さんについていくと、頼んでもいないポテトサラダが出てきて、
2人で2杯ずつも飲んでいないのに、会計で8,000円くらいを請求されることもあった。
知らない人について行ってはいけないことを、大人になってから再び新宿で学び直した。

 

そんなこんなで、色んな記憶がある街だからこそ、

ぼくは新宿の雑踏が、嫌気がするけど妙に懐かしい。

 

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少し大人になった今だからこそ、新宿伊勢丹前とかで集合して、
ちょっとカジュアルに新宿三丁目の飲み屋とかで、平日夜にサクッと飲んだりしたいなー。

【冷凍都市の暮らし】池袋

一駅ごとに街の表情が変わる都市、東京。
過ごしてきた歳の数だけ、それぞれの街の風景に記憶を重ねてきた。


離れて分かる良さもある。
そんな感じのゆるふわで、好い加減なトシの記憶を振り返る。

 

ー池袋ー

 

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ぼくがはじめて都会を知ったのは、池袋だった。

 

東京育ちではあるものの主要な駅までかなり遠い場所に住んでいた自分は、

団地・公園・ヤンキーが見慣れた風景だった。

 

へそ曲がりの中学生として、親から怒られるのが面倒だからという受動的な理由で真面目に勉強をして、いじめられたくないからという理由でヤンキーとゲーセンにも行き、家ではインターネットで携帯電話の比較サイト見ながら、「1日でも早く自分用のケータイが欲しい」と夢見ていた。

 

そんな中学時代、チャリを飛ばして20分くらいかかる主要な道路まで、友人と汗だくになりながら向かった。そこで都バスに乗り、揺られること30分弱・・・。池袋東口に向かった。

 

ぼくたちの目的は、「池袋に行くこと」だった。

 

東口のマクドナルドで雑なランチを済ませ、サンシャインで楽しそうにデートするカップルに嫉妬をし、ジーンズメイトで英字プリントの施されたロングTシャツを買うことが、何よりも楽しい青春だった。子どもだったぼくたちに、それほどお金の余裕はなかったが、ただ一緒に無為に時間を過ごすだけで楽しめる遊び心があった。


自宅から1時間以上かかる池袋で、ぼくは13歳にして東京デビューを果たした。

その当時、実家は東京だったというのに、遅咲きのデビューだった。


そんな池袋も、高校・大学・社会人になってからは遊ぶ場所も変わってしまい、あまり行かなくなってしまった。ただ、19歳で高田馬場の予備校に通っていたときは、東口のHMVでCDを買うことが、限られた贅沢のひとつだったこともあり、時々降り立つことがあった。余談だが、YoutubeAppleミュージックもなかったその当時、音楽は自分の命を救った。

 

そんなこんなで、しばらく池袋からは疎遠にしていたのだけれど、20代の後半に友人が池袋西口に引越しをしてからは、しばらくは池袋西口がぼくらのホームタウンだった。

自分自身も初めての一人暮らしで池袋の周辺に転居し、週末はもっぱら池袋西口に集合した。

 

ぼくたちのやることといえば、酒を飲むこと、仕事の愚痴をこぼすこと、ダーツを投げること、投げやりにテキーラを一気すること、カラオケで騒ぐこと、などであった。

 

そこそこに責任のある仕事を任されて、ストレス社会に毒されたアラサーの男たちにとっては、説明不要に必要なガス抜きであり、そんな最低な時間が最高のエンターテインメントだった。

 

しかしながら、そんなぼくたちも大人になる。

 

ある男は同棲をはじめるために、

ある男は飲み代が家賃を超える生活を更生するために、

そしてぼくは会社で転勤が決まったために、

それぞれが池袋の街を立ち去っていった。


子どもの頃は、初めて触れる都会らしい雑踏に刺激をおぼえ、
大人になってからは、丁度良い都会として週末を過ごしていた。

 

東が西武で、西は東武なことだけが、大人になった今でも理解できないけれど、
間違いなく断言できることは、池袋は埼玉の植民地ではなく豊島区ということだ。


また池袋で、酒を飲もう。

 

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ばりやば!

変化と自分と、そして世界はぐるぐると回る話。

職場が変わり、住む場所が変わった2019年の初夏。
ものすごく久しぶりにスタバに来たのでブログを更新する。

 

特に目的もなく書いているので、まとまりがないことは、
ご容赦いただきたいことを最初に断っておきます。

 

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人の思考は、付き合う人たちに影響を受けやすいとは思うが、
その最たるは『仕事』であると転職をして改めて感じた。

 

現職の人たちは仕事が好きとか、目標を達成するとか、
そういう当たり前のことを当たり前にできる人たちばかりで心地よい。

 

とある先輩が「人のストレスは限りなくフリーに近い職場だよ」と言っていたのが、
今の自分ならば、実感として理解できる。

 

人生の貴重な時間を投資する以上、やはりその仕事の時間は、
自分自身が納得できる場所で、時を過ごすことが、
当然ながら重要なのであるという結論に辿り着いた。

 

その一方、様々な巡り合わせの偶然があり、今いる場所に立っていると思うと、
まだ不思議な感覚というか、本当に自分の身に起きていることなのか、
時々分からなくなることもある。

 

過去の延長線上に、現在の自分がいるはずなのに、
環境が変わると、ここまでガラリと世界は変わるものなのかと。

 

思えば、小学校から中学校への変化や、中学校から高校への変化、
高校からその先の進路選択、、など、環境やコミュニティが大きく変化する場面は、
これまでの人生でも複数回、経験してきたことだ。

 

しかしながら、大人になって、ましてや社会人になってしまうと、
なかなかどうして、そういった環境変化というものは、
自分自身で企てて起こそうとしなければ、意外と少ないものであると今更ながらに気がついた。

 

ましてや、社内で一定の立ち位置についてしまうと、そこから見える景色は、
似たような同僚の顔や会議室、その会社で良しとされる考え方の癖に、大きく影響されてしまう。

 

人生100年の時代に、自分自身が100年も生きようなんてことは思ってもいないけれど、
世界と時代が変化する中で、自分自身はいつのまにか、茹で上がった蛙になってしまうわけだ。

 

自らの身を別の海へ投じた自分のことを、ある面で擁護するために、
そんなことを考えていたことに気がついて、溜め息をついた。

 


なんて、浅はかな思考なのだろうか。

 


自意識の高さに辟易もするが、何をどう繕っても、
そんな思考回路そのものが自分なのだ。

 

そもそも、どうしてそんなことを考えたのか。

たぶん、今の自分は新しい海に来て、潮の流れと泳ぎ方が変わって、
何となく泳げている気もするけれど、身体の使い方が不器用で、
無駄に力が入ってしまっているような感じがする。

 

そんな、まだあまり上手に泳げない自分を正当化したくて、
変化に身を投じたことそのものを正当化して、
刹那的な安心を得ようとしていたのだ。

 

だが、自分は知っている。

 

このアウェイな環境こそが、何よりも力をつけるのに最適の環境であると。


面白い仲間と、最適な環境で、ヘルシーな街に住み、
またイチから出直していくとしよう。

銭湯の男たち

冬の寒さに耐えかねて、最近は徒歩で行ける銭湯兼サウナまで週に数回ほど通っている。

 

洋服も役職もない文字通り『裸の世界』で、男たちはそれぞれの時間を過ごしている。

 

湯船に浸かる者。

念入りに髭を剃る者。

仲間と談笑する者。

 

どの男たちも共通しているのは、すべてが明らかということだ。

だからこそ、銭湯での男の肉体は、その男を物語る小説そのものだ。

 

引き締まった肉体には、その男の弛まぬ努力と漲る自信が表出している。一方で、必要以上に肥大した肉体には、その男の油断が集積されている。千手観音像を背中に刺青した肉体には、その男なりの覚悟が描かれている。

 

男たちは、それぞれの物語を生きている。

 

そのようなことを、サウナ室内の薄い酸素を、肺で懸命に拾い集めながら考えていた。全身は汗で濡れていた。頬の先を伝って落ちた汗が足元に当たる。その振動で自分の肉体が存在することを確かめていた。

 

私の肉体は、どのような物語を生きているのか。

懐古

10年以上の付き合いがあるっていうのは、なかなか稀有なことだ。

どうしても何らかの都合や環境変化で、付き合いなんてものは、いとも簡単に途切れてしまう。

 

それは友人付き合いもサービスの利用も同様のことで、今回のはてなダイアリー終了のお知らせは大変残念なことと思いつつ、この機会に過去の記事をすべてこちらに移行することにしました。

もちろん、黒歴史・・・否、闇歴史の記事たちを、誰もが垣間見ることのできる白日の下に晒すことに、いささかの躊躇いも感じてはおりますが、これまでの足跡があってこそ今日の自分が存在しているので、思い切って公開状態のままにしておきます。

 

そんなわけで、ブログのタイトルも当時現役ではてなダイアラーをやっていた頃のタイトルにしました。

 

ところで、過去の記事を一部読み返していて思い出したのですが、当時は携帯電話からメールで投稿していて、Twitterのように短文のテキストをアップする、という使い方をしていました。なので、読みにくい箇所もあるかもしれませんが、ご愛嬌ということで。

 

以下に、ざっくりとですが、時系列と学年区分で区切った当時の概要を記載しておきます。『月別アーカイブ』から遡って読むことができますので、闇歴史の扉を開けたい方は、お好きなところから読んでみてください。笑

 

【2007年2月〜2008年3月】高校3年〜浪人生

ちょうど、高校3年の終わり頃の2月に、はてなダイアリーを始めました。それまでなんとなく高校生をやってきた自分が、現実という壁にぶち当たり、現実逃避のためにSyrup16gART-SCHOOL、そして向井秀徳へ傾倒し始めた頃です。笑。

日常は、ほとんどクソ真面目に勉強ばかりしていて、休み時間や移動時間、夜に眠る前だけインターネットの海へ剥き出しの感情を放り投げる活動をしていました。

 

【2008年4月〜2010年3月】大学1年〜大学2年

ギリギリで滑り込み合格した某大学での日常が多いです。バイト、飲み会、はてな会、テストめんどい、恋人、サークル、みたいなことばかり書いていたので、典型的な学生生活を送っていたものと思います。笑

今、振り返ると本当にモラトリアムを謳歌していましたね。もっとハードに遊んでおけば良かったとも思いますが、あのゆとりある生活があったから育まれたものもあったのかな。

 

【2010年4月〜2012年3月】大学3年〜大学4年

それまでと比較して、徐々に記事数が少なくなってきた頃です。たぶん、Twitterに日常のつぶやきが移行したことと、ちょっとずつ就職活動が忙しくなって、真面目に長文を書くための時間がなくなったからですかね。

就活のインターンとか説明会を経験するようになって、もう一度、自分が分からなくなっていた頃ですね。精神的にフラフラしていました。今も大概ですけど、当時は自信がなくて、周りの就活生と自分を比べてばかりいたような気がします。そんな暇があったら、動けば良かったのにと今になって思いますね。笑

 

【2012年4月〜2017年】社会人

今の会社に勤め始めて、圧倒的に記事の記入が減りましたね。笑。

内容もクソ真面目な社会人っぽい、やや意識の高めの読む気の失せるようなものが多いですね。2017年には人生で初めての一人暮らしをスタートした頃の記事もあります。今となっては当たり前になりましたが、実家から一人暮らしへの移り変わりは自分にとっての大きな一歩でしたね。

 

さて、今年は何本の記事を書けるんでしょうか。笑

今回、移行作業のついでに過去の記事を読み返してみて感じたのですが、その時の思ったこととか傾倒しているもののことを、それなりの長文に残しておくと、やはり備忘録として有効で、かなり当時の記憶とかも蘇ってきました。今年は定期的なブログ更新をふんわりしていきたいなーって思いました。

 

おしまい。

ひとりぐらし 〜掃除〜

忙しいと、ついつい後回しになってしまうけれど、部屋の掃除をすることは、おおむね自分にとって好きな行為だ。

 

食事と睡眠と、少しの休息程度にしか生活をしていない部屋でも、日が経過すれば自然とフローリングに埃もたまれば、キッチンだって汚れる。人が生きることは、環境を汚染することと同義だ。

 

100円ショップで調達した“クイックルワイパーに形状が酷似したもの”に、専用のシートを取り付けて掃除する。ひとりぐらし用の部屋ならば、それだけあれば一瞬で掃除が完了する。うちでiRobotが働いたら、サボることをおぼえてしまいそうだ。

 

掃除をすると、環境が整うから、生活が快適になる。奇麗になるから達成感もある。脳内に僅かな快楽物質が流れるのが分かる。すばやく掃除ができる部屋だから、その快楽が癖になって、ついストレスが溜まると部屋の掃除をしている自分がいる。奇麗になるだけではなくて、ストレスの発散もできて一石二鳥だ。

 

ところで、そんな自分が、ずっと気になっていた場所があった。

 

バスルームの排水溝だ。

 

こいつは、“クイックルワイパー的なもの”では、片付けられない。

休日の朝、この難攻不落の城(と見えている)に、手をつけることにした。やってしまえばどうってことはない。絡まった髪を取り除くだけだ。これで、うちのバスルームの排水溝を流れる水は、引力の導きに対して、素直に従うだろう。

 

それにしても、こんなところにまで長い髪を落としていくなんて。

 

まとめたゴミ袋を、外にある集積場まで運びながら、ぼんやりと曇り空を見上げた。

今日は雨が降りそうだ。

ごはんをつくる。

朝・昼・晩という具合に、平均的な人ならば、毎日3回は機会がやってくる「食事」。

仕事をしている平日は、あんまりゆっくりとごはんを食べるような余裕はないのだけど、だからこそ最近の休日は、できるだけ自炊して、食事をとるようにしている。

 

本当は外食しちゃった方が楽なのだけど、せっかく調理器具とかもそろえたので、この機会に、余裕のある時は、ごはんをつくるようにしている。

 

「四つ切り、、ってどう切るん?」

「キャベツの外側って、どれくらい捨てちゃうもの?」

「じゃがいもって、芽が出てきても取っちゃえば大丈夫?」

 

信じられないくらい壊滅的に料理の基本を知らない人なので、予習したり、必要に応じて確認したりする作業もあり、所要時間として表記されている時間よりも多くかかってしまう。

そもそも、包丁の扱い方だって、そんな慣れた手つきではなくて、上手な人からしたら危なっかしい使い方な気がしている。思うように均等に切れない、なんてことは、ちょくちょくある笑。

 

だけど、料理は楽しい。

 

切る、剥く、焼く、、食材の形や色味が変化して、一時はバラバラになった食材が、最終的な料理として結実する。成果が形になって目に見えるから、すごくやりがいがある。ごはんを炊きつつ、お鍋で煮込みつつ、使用が完了したまた板を洗うことで効率化を図る、なんて、工夫の余地もあったりして、やり込み要素は満点。

 

しかも、できあがった成果の検証は、自分が食べて美味しいと思えるかどうかだから、すぐに成果検証もできてしまう。PDCAを、ぐるぐる回せる。

 

その上、普通にお店で食べたら、安いところでも、700〜1,000円くらいかかっちゃうようなごはんも、自炊すると、半額くらいにおさえられる。

 

知的な好奇心と食欲の両方を満たせる上に、コストカットできるとか、最高じゃないか。

ひとりぐらし 〜住めば都〜

「以上で、ご契約の説明は終了です」

思いつきのひとりぐらし。それでも、手続きまでが無事に完了した。

やってみると、あっさりとしたものである。

 

入居予定日に現地で管理会社から鍵を受け取り、中に入る。

ひとまず、空っぽの部屋に荷物を置いて、インフラ周りの手続き電話をする。

会社でも事業所の開設などで、少しやったことはあるが、東京電力は、どうしてこうもコールセンターのスタッフが少ないのか。部屋の掃除をしつつ、スピーカーモードにした電話から自動音声に「しばらくお待ちください」と、なだめられる。

 

最低限の日用消費材と調理具、寝具などをそろえつつ、部屋の照明を買うのを忘れたことに気がついた。入り口からキッチンやトイレ・バスの照明はついていたが、部屋の照明は後付けしなければいけなかった。ドンキホーテまで行けば買えたのかもしれないが、翌日も仕事だったのと、買い物疲れで、その日はすぐに眠ってしまった。

迎えた翌日、会社の帰りに照明は買ったものの、イスやテーブルなど、何かしら脚立の役割をするものがないことに気がつく(笑)必要最低限の備品でスタートしようとしていたが、「台になるもの」も必要だった。

結局のところ、週末にローテーブルを購入するまで、夜間はキッチンの照明のみで必要な作業などをして過ごしていた。1Kのキッチンなんて、さほど広いものではないので、本当に小さい廊下で、フローリングに直で座りながら作業をしていた。実に原始的な生活だったが、それすらも「新しい環境」を求めていた自分は、半ば楽しんでいた。一時期、酷い時には会社の床で眠ってから会社に出勤していた自分からすれば、よっぽど人間らしい生活だ。

 

住めば都なのである。

 

ローテーブルを組み立てて、それを踏み台に、天井へ照明を取り付けた時は、ささやかながら文明開化の気分を味わった。これで、やっと人間らしい生活ができる。電気とか水道とか、インフラ系の当たり前のものが、当たり前のものとしてあり続ける素晴らしさを感じた。自分のやっている仕事は、お客さんから当たり前に必要なものとして、求められているのだろうか。そんなことも考えたりした。